成人式に思う2:6:2の法則 ~エネルギーの使い方を変えよう~
- 2021.01.12
- MESSAGECONSULTING
エネルギーの使い方 自分事と他人事 歴史から学ぶ 2:6:2の法則
皆さん3連休はいかがでしたでしょうか。
緊急事態宣言の中、なるべく外に出ないで過ごしていた人も多いのでしょうか。
今朝のニュース番組で、昨日行われた成人式について取り上げて
いたのですが、多くの地方自治体にて式典を中止したわけですが、
横浜市や杉並区では開催されたようですね
そして、ご多分に漏れずごく一部の成人が、式典後に酒を回し飲み
しながら何人かで騒いでいるシーンが放映されていました
そこで、あらためて感じたことが、
『2:6:2の法則』
組織マネジメントやリーダーシップなどのテーマの講演や研修依頼の際に
人が集まることの基本知識ということで取り上げることが多いのですが、
いろいろな場面や状況でも使えるものだなと思いますね
市長や区長がコロナの影響を考えて、式典後は会食などは控えて
帰宅するようにとメッセージを送っているわけですが、
素直にそれを守る人2割
まわりの様子をみながらどうしようか考える人6割
そんなことは自分に関係ないと無責任な行動をする人2割
だいたい、世の中はそんな感じで動いていると肌感覚でわかっておくことが大切
なのかなと思っています
だから、ニュースのシーンを見て、『今の若者はとんでもない・・・』
とひとくくりで捉えるのも間違いだと思います
ちゃんとメッセージを聞いて自分を律して、帰宅している若者も大多数
いるわけですからね
若者を信じるのはぜんぜん悪いことではないのですが、人が集まると何が起こるか
の法則を知っていれば、絶対に全員がルールやメッセージを守ることは
ないということも踏まえて、判断をするのが最終責任者の責務でしょうね
自分は以前『悲観的に準備して楽観的に行動する』というフレーズで
それを教わりました。
最悪のときに起きる何かを想定して準備しておけば、
何も不安なく行動できるでしょ!!
という考え方
今回の成人式を例にとると、歴史のシーンを見れば、式典後にあのような
行動をする若者が必ずいることがわかるはずです。
今回はコロナだからさすがに皆さん素直にルールを守ってくれるだろう・・・
という考え方はあまいし、歴史に学んでいないということになりますかね
つまり『想定力が足りていない』
準備力とは想定力だと思っています。自分では準備を完璧にしたと思っても
失敗につながってしまうことはありますが、それは想定できない出来事が
起こって、準備できていないからそうなるわけで
『経験を積むとは想定レベルを高めること、深めること』
尊敬する野口芳宏先生からは以下の言葉で教わりましたね。
好きか嫌いかは自分が決める
良いか悪いかは社会が決める
正しいか正しくないかは歴史が決める
だから、歴史を踏まえて学ぶということは大切なことだと考えています
トップやリーダーという責任の重いポジションになればなるほど
好きか嫌いかだけで判断できないし、良いか悪いかだけでも判断できないし、
正しいか正しくないかの判断を迫られますからね
ちょっと話のスケールが大きくなりましたが・・・
ニュースの若者のシーンを見ていて感じるのは、
『元気とエネルギーの使い方を変えたらいいのにな』ということ。
更に感じるのは、
『自分がやっている行動の余波に対する想定力や想像力の欠如』
この行為が何につながって、どんな余波が起こりうるのか??
そこを想定したり創造したりしながら生きるのが人間が人間たる所以なんですけどね。
だって、人間以外の動物は未来予測がほとんでできないことがわかっているから
そんなことを教えてあげるのが、経験値の中で学んできた大人たちなのかなと。
その行為について評価はまったくする気もありませんが、元気とエネルギーがある
ことは悪いことではないと思うんですよね。ただ使い方がかなり間違っている
そのスイッチが変わって、正しいエネルギーの使い方ができたらいいけれど、
その中でそうやってスイッチを変えられるかどうかも、2:6:2の法則が
ある程度成立しているだろうなと思います。
昔、かなりやんちゃをしていたけれど、今や立派に社会貢献しながら活躍している
人もたくさん存在していますからね~
実は個人的には、元気とエネルギーがそもそもない若い人たちのほうが気になるかも
しれません。人と接することが苦手、家に閉じこもって、自分にとって楽ちんだとか
居心地が良いと思っている環境からでようとしない人達。
その結果として、社会や地域とのつながりが欠如して孤立していく
人は人と接する中で気づくことも多いし、それが更にスケールアップすると
地域や社会とどうやってつながっていくのか、そのつながりの中で自分だけではく
地域や社会の中で生きていく存在としての責任を考えられるようになること。
大人になっていくプロセスの中で思考をそうやってステージアップ
していくことは、重要なことではないでしょうか
だって、歴史を見れば、世の中で尊敬されている人や一目置かれている人や
必要とされている人は・・・
『世のため人のために何かを成し遂げた人、作りあげた人』
が多いということがわかると思います。
社会、地域、自分の身近に存在する人たちを客観的にみたときに、
自分がその全体像のどこにポジションを置こうとするかは、その人次第だと
思いますが、それを教えていくのが幼児教育の1つの役割だと思いますし、
親や大人の役割だと思いますね
自分としては少なくとも地域や社会の中で生きていく存在としての
責任を考えて行動しようとは思っています。
もちろん、自分の子ども達にもそうなってほしいと思いますね
どこにポジションを置こうとするかで、
目の前の景色や現象の捉え方やスケールの目盛りなども違ってきますからね。
簡単に言うと、それを自分事で捉えるか他人事で捉えるかの差は大きいということ
成人式の例に戻しますが、地域や社会の中で生きていく存在としての
責任を考えられる人が、今の状況の中で自分がとるべき行動を自分事として
考えて、素直にまっすぐ帰宅した人達でしょう。
でも、自分には関係ないし、他人事だと捉えて自分勝手な行動を
とってしまう人達もごく一部ですが存在する。
このような現象は成人式だけではなく、あらゆる場所や場面で人が集まれば起こる
1つのルールであり、全員が理想どおりに行動していくれるのは難しい。
それが現実であるということも1つの学びにしたらいいのかなと思います。
今日は、今回の成人式のシーンを見て感じたことを自分なりに整理してみました。
お読みいただいた方の何かのヒントと未来のハッピーに少しでもつながれば幸いです。