”できる人”の共通項シリーズ ~感覚を取り込む力~
今日は、久しぶりに”できる人”の共通項シリーズを書こうと思います
シリーズなんてネーミングをしている割には、定期的に書けていないこと
を反省して
最近、ビジネスタイム&プライベートタイムの多くの時間であらためて
感じていることは・・・
『人間のベースメント教育の重要性』
三つ子の魂百までというように、やはり幼児期の大切な時期に
磨いておきたいとても重要な要素は??
皆さんそれぞれの考えがあると思いますが、自分として強く最近思うのは
『感覚を取り込む力』となります。
これに関しては以前のブログで一度自分なりの見解を整理したことが
ありますので、詳細はそちらをご覧いただきたいと思います。
(以下をクリックしてお読みください)
⇒『心と体のベースメント教育の重要性!!~可能性の器を育てる~』
この記事に書いたように、やはりインプットの質が高い人とそうでない人の
差はその人のアウトプットの質に直結しますよね
人の話をちゃんと正確に理解できないから、相手が求めている言動や行動
につながらない・・・つまり、日々接する多くの人達のニーズに鈍感な人は、
一般的に言う”できる人”にはなれないわけです
「鈍感=感覚を取り込む力が欠如している」
ということになるでしょう。
記事には、センスという言葉が登場していますが、一言で言ってしまえば
ビジネスの世界でも、スポーツの世界でも”センス”というものは成功するための
とても大きな影響因子になると思っています
しかし、センスを因数分解するのもなかなか難しいものですよね。
私の定義の中に「因数分解しにくいものは、教えるのが難しい」という考え方が
あります。センスはその代表的なものかもしれませんね~
例えば、子どもたちのサッカーする姿を見ていても、正直なところ
センスのある子とセンスのない子の差は、とても大きいなと感じます。
でも、その子たちに、「サッカーセンスを磨きなさい!!」なんていっても
おそらく、何をどうしたらセンスが磨かれるのかなんてわからないでしょう
そこで、大切なのが『感覚を取り込む力』ではないでしょうか。
同時に同じものを見ても、それをどう受け止めるかは人によって大きく違います。
そして、それを自分の成長に活かせる人もいれば、それがただの景色でしかない
人もいる・・・それが「感覚を取り込む力の差」ということになります。
でも、自分が置かれている状況や意識が変化することで、
感覚を取り込む意識みたいなものは大きく変わることがわかっています。
その人に「責任の伴なうアウトプット環境」が与えられているか否かが大きな
分かれ道になるのです。
自分の経験則でお話しすれば、20代から人の前で講演や研修をする講師という
立場で仕事をしてきましたが、経験不足の数年間は、1時間の講演でもその前
の1週間くらいは、そのことで頭がいっぱいになります
そして、日々、その1時間で話すネタや構成を考えている状態ですし、少しでも
よいネタはないかと本を読んだり、人との会話からヒントを得ようとしたり、
先輩にいろいろ相談してアドバイスをもらったり・・・
つまり、あきらかにその1週間におけるインプットの量と質がアップするわけです
そのような日々の連続の中で、ある程度自分の「感覚を取り込む力」は
磨かれていったことは確実だと思いますね。
但し、その大前提で言えることは、そういう力は大人になってからももちろん
磨くことはできるのですが、やはりそのベースメントの大部分が幼児期に育まれている
ということです。それを「可能性の器」と自分は表現しています
どれだけその器を大きくしておけるかが勝負なんでしょうね
たまに、圧倒的な差を感じて、絶対この人のセンスにはかなわないな~なんて
人と出会うことがありますが、そういうことなんだと思います。
努力で追いつけるレベルと、そうでないレベルがあるということですね
経営コンサルタントとして、トップやリーダークラスの人たちの相談にのる
日々の中で、多くの人達が悩んでいる根源的原因は、
『感覚を取り込む力の差』にあることが多いと自分の中で最近思っています
こちらが怒っているのに、なんだかへらへらしている・・・
もっと主体的に動いてほしいと思うのに、いつまでも指示待ち傾向・・・
早く帰れと言っているのに、なんだかだらだら仕事をしている・・・
あの場面ではこう動いて欲しかったのに、ぜんぜん想定外の行動をしてしまった・・・
まあ、そんな相談内容を毎日のように聞くわけです。
これらは、トップ&リーダーが持っている感覚と、その受け手の感覚が乖離している
ことが原因で起こっているケースですよね
感覚を的確に取り込むことに長けている”できる人”は、
そこがあまり乖離しないので、任せて安心だったり、信頼されたり、評価されたり、
つまり、基本的には社会的評価が高い人になるのでしょう
そして、そのトップ&リーダーの中には、ずっと同じ悩みを継続している人も
多いという事実があります。もちろん、その人達が相手に教育を放棄しているわけ
でもなく、一生懸命育てようとしているのに・・・
一度、伝えてできるようになったと思ったら、また同じミスを繰り返して
振り出しに戻ってしまったという相談内容も多いものです。
そこで思うのは、「可能性の器の限界」もあるということ。
やはりその器がかなり小さいままで大人になってしまった人達にとっては、
すでに今でキャパオーバーなんだということ。
そして、残念ながら、経験から学んで応用していくという機能がかなり弱いということ。
流れの中で、そういうアドバイスをすることも正直ありますね
感覚を取り込むということは、イメージするということでもあるでしょう
相手から指示を受けたときに、この人はちゃんとこれからやるべきことを
現段階で頭の中にイメージできているなと思える人と、この人は、
ほとんどイメージできないで聞いているだけだなと思える人がいます。
その差は質問や確認の内容の差となる場合が多いです。
自分がアウトプットするために、必要な情報や感覚をちゃんと整理しようと
思って、的確な質問をしてくる人と、質問する項目もわからない人の差です
感覚を共有化を図るための質問は・・・
「今回の目的は〇〇で、目標は●●ということで間違いないでしょうか?」
「このような認識で大丈夫でしょうか?」
「今回、一番優先順位が高いのは、〇〇ということでよろしいでしょうか?」
あくまでも例ではありますが、できる人は上記のような質問を通じて
必ず相手との”感覚のすり合わせ”を行っています。
そうでない人は、上記のようなすり合わせを怠るから、アウトプット段階で
ミスや思い違いが発生する確率が高くなるわけです
頭の中身がわからなかったら、ちゃんとそれを聞き出すための質問や確認を
すればいいのに、それができないのです。これが能力の差になります
責任の伴うアウトプット環境の差もあるでしょうし、その人が持っている
感覚を取り込む力の差が相まって、違いを生んでいると考えられます。
いずれにしても、
相手のニーズを的確に捉える力が社会で生きていく上ではとても大切になる
ということだと思います。
今日は、”できる人”の共通項シリーズということでちょっと最近自分が
感じたことから、見解を整理してみました。