鵜呑みにしすぎない ~体験と経験を照らし合わせる~
あっという間に6月が終わろうとしています・・・
最近、メディア環境が発達したことで、いろいろな情報を簡単に入手できる
ようになりましたよね
YahooやGoogleなどでキーワードを入力して検索すれば、瞬時に
必要な情報が手に入る時代 とても便利で有益な機能だと思います
そして、あらゆることや分野における専門家や評論家と呼ばれる人達が
テレビなどの各種メディアに出演して、専門的な知見や見解を
お茶の間に届ける番組も多くなっているような気がしています。
そんな一見は便利で、進化しているなと思われる環境変化の中で
素晴らしいなと感じるのが一面、しかし個人的に感じているもう一面として
そのような情報を
『鵜呑みにしすぎてはいけない』
とも思っています。
ある意味の責任回避機能として、その環境を利用しているような
人に遭遇することもあるからですかね~
「あの人が言っているから間違いないだろう」
「あの専門家が言っているからそうしたほうがいい」
そんな言葉をよく耳にすることもあります。
もちろん、一理あるでしょうし、それが正解であることも多いとは思います。
でも、会話や語り合っていて、上記のような傾向が強いな~と感じる人に
なんだか自分は魅力を感じないのです
そんな人に対して自分が心の中で問いかけている言葉は・・・
「あなた自身はどう思っているの??」
あなたが語っているのは人から聞いた意見であって・・・
挙句の果てには、それがうまくいかなかったときに、
「あの人の言うことはやっぱり信用できない」と言って、手のひらを返したように
責任回避するための好都合な材料として、その情報を活用する人がいます
でも、真実は、その情報を選択して判断したのは自分!!
だから、すべては自分に責任があると考えるべきではないでしょうか
先日、テレビを見ていたら、大リーグで数々のチームの監督を歴任して
日本ではロッテの監督として優勝も成し遂げた
名将「ボビーバレンタイン監督」がこんな言葉を語っていました。
教えられたことは、経験をすることでできるようになる
経験は教えられない
全力を尽くした上の失敗であれば、それは貴重な経験となる
ということで、情報として入手したものに対して
『自身の体験や経験と照らし合わせる』
という検証プロセスが大切ということですよね。
この”経験は教えられない”という言葉は深い言葉だな~と思いますね。
情報と経験を照らし合わせて自分なりの解釈や知恵に転換していく
ことで、本当に価値がある学びや成長につながるということでしょう。
それを『修慧(しゅうえ)』と言います。
聞きかじっただけの情報を『聞慧(もんえ)』と言います。
・検索してたまたま出てきた情報を”鵜呑み”にして、自分の見解にしてしまう人
・「わかったつもり」 「わかった気分」の自己満足で終わっている人
そんな人達が増えているような気もしますね~
逆に言えば、人から聞いただけで情報を入手しただけで、
できるようになると勘違いしてはいけないというメッセージでもあるでしょう
最後に自分が大切にしている言葉を・・・
体験から生まれた知識は人を動かす力を持つ
体験に基づかない知識は人を惑わすものとなる
そして知識は活用するチャンスを経て知恵となる
これらのメッセージから共通して大切なことがわかりますよね。
『わかったつもりでいる自分に注意しなさい』
『”知識を持っている=できる”は勘違い、己惚れることのないように』
こういう便利な時代だからこそ、肝に銘じておくべきことだと思います。
本日は、最近なんとなく感じたことを自分なりに整理させてもらいました