『言ったもん勝ち』の風潮を助長しないために!!~嫌と言えば避けて通れる感覚を植え付け過ぎない~
- 2024.11.25
- MESSAGEPERSONAL COACHING
今日は、コンサルティング先の幼稚園内の更衣室等をリフォームして、給食室をあらたに作るプランのサポートで施工会社と給食設備のメーカー担当の方と現地訪問しながら打ち合わせ。
この少子化の時代の中、現在の園児数350名という地域一番園ですが、更なる他園との差別化を図るための展開施策として、自園給食への挑戦、そして今後は園庭の改革に着手していきます。
今年度の園児募集状況をお聞きしていると、かなり厳しい現状を突き付けられている園のほうが多いと感じていますが、こちらの園は、120名の新入園児数を確保して、しっかり園児数を維持。その理由は常に進化に向けて変革&チャレンジしているからに他なりません。逆に園児数をかなり減らしている園ほど、頭では焦っているかもしれませんが、実際には変革&チャレンジが行われていない。
書いてしまえば当たり前のことですが、当たり前のことが当たり前のように起きているということ。勝ち組と負け組の明暗がはっきり分かれてきていると肌で感じている今日この頃。
さて今日のメインテーマに・・・
ちょっと前に話になりますが、テレビを見ていたときに、
『子ども達から嫌だとかビジュアルが気持ち悪いという意見がでている教材商品があって、その意見を取り入れて即座に商品を改良したというエピソード』
がありました。子ども達の親からも、一部の教師からも嫌だという意見あり。
もちろんマーケティング的な視点ではある意味の正解なんだと思いますが・・・
その状況を聞いて、テレビに出ていたあの”IKKO”さんが以下のようなコメントを・・・
『じゃあ子ども達が将来なんでも嫌と言えば、避けて通れるのでしょうか??』
う~ん本質的な感覚としてなんだかとても共感するコメントだったのでここで書いています。
何か自分の思い通りにならないときに、「嫌だ」と発言をするのはよしとしましょう。しかし、そんな状況のときに、まわりの人達が、発言した人の思い通りになるようにしすぎている風潮に少し違和感を感じていたので、そのコメントに共感したのだと思います。
子どもが言うならまだしも、親が「嫌だ」と発言し、教師が「嫌だ」と発言し・・・
というよりも、何かに抵抗したり反抗したり嫌だといったりする親や教師の姿を日々観察する中で、子ども達は、嫌だったらいろいろ相手に文句を言えばいいんだ!!という認識が芽生え、そうなる傾向が強いのでは・・・
自分の感じたことや思ったことをそのまますぐに口に出す人は、個人的には成熟度があまり高い人間だと思っていません。成熟度の高い人間は、その場に応じて感情をコントロールできますし、その場に応じて、適切なリアクションやアウトプットを選択できるものです。
上記のような風潮が色濃くなりすぎると、最終的には『言ったもん勝ち』になってしまう。最近は、CS(顧客満足)の概念が、ある人やある組織によっては少し違った方向に用いられているように感じます。
『お客様のご意見ご要望にはなんでも対応致します!!』
それは聞こえがいいですし、実現できたら素晴らしいと思いますが現実的にそんなことできるでしょうか?? 本当にやる必要があるでしょうか??それが本当の顧客満足でしょうか?? 個人的には違うと思っています。
お客様や利用者という人達には、いろいろなパターンがあり大きく分ければ、善意のあるお客様と悪意のあるお客様に分けることもできます。もちろん、すべてが善意のあるお客様だとしたらうれしいのですが、まずそれはないでしょう。
善意のあるお客様、つまりその人や組織やその商品・サービスのファンであるお客様のご意見ご要望に対しては、出来る限り誠意を持って対応していくのが本当のCS活動だと思います。
しかし、世の中には悪意のあるお客様、つまりその人や組織やその商品・サービスを良く思っていない人のご意見ご要望に全て対応していたら、その人や組織は疲弊して崩壊してしまうでしょう。商品・サービスへの不満というよりも、何か自分が満たされていないことに対して、文句を言う対象をいつも探しているようなもっと厄介な人もいますよね。
『なんでもかんでも言われたら対応する!!誰に言われても対応する!!』
というへんてこりんなCS活動の風潮が広まってしまうと、みんなが疲弊するし、ストレスがたまってあまりいい事ないんじゃないかな~と思うのです。
また、違った視点で
『じゃあ子ども達が将来なんでも嫌と言えば、避けて通れるのでしょうか??』
を捉えてみると・・・
人間は生きていれば、社会に出れば、嫌だけどやらなければいけないことなんてたくさんありますよね。理不尽でもなんとかしなければならない状況なんていくらでもありますよね。自分の思い通りにならないことも多いですよね。これが、紛れもない社会であり現実の社会でしょう。少なくとも自分はそういう経験をたくさんしてきたように思います。
『そういう将来がやってくる子ども達に、嫌なときは嫌といって、避けて通れる経験をさせ過ぎてしまったらどうなるのか??』
社会に適応できなくなるのは当たり前じゃないでしょうか。
今、社会人1年目でフェードアウトする人が増えていることはよく言われること。それって、こういうことと少なからず関連していると思うのです。
嫌でもやらなければならないこと
苦しいけれど、乗り越えなければならないこと
理不尽でも前に進まなければならないこと
それをやはり少しは経験させて、カラダや心で体得させていかないと社会適応力の高い人間にはなれないと思います。もちろんレベル調整は必要ですが。
社会適応力が低いということは、社会で認められる、信頼される、評価される、必要とされる人間にはなれないということ。
それは、例えば自分の場合は、学生の頃にサッカーというチームスポーツを通じて学ぶことができたと思っています。そして社会人となり、かなり厳しい会社に入りましたがその学びのベースがあったからこそ苦しい状況でも乗り越えて前に進むことができ、更に成長できたと思っています。もっと原点に立ち返れば、その根っこは親から教えられたのだと思っています。
嫌なこと、苦しいこと、理不尽なこと・・・
それを避けて通れないものだという現実には、必ず意味があってそれが必要だから自分に襲いかかってくると理解できるかどうかでその人の次のステージが決まっていくのではないでしょうか。
それを、まわりの大人たちが、なんでもかんでも「嫌だ嫌だ」と言っていたらそれを聞いた子ども達は、勘違いして、真似してしまうのもしょうがないと思いますね。
本当にかしこい人間は、そんな環境であってもどこかでスイッチを切り替えて変革することができるかもしれませんが、なかなかその思い込みを打破することは難しいものですよね。
その世界ではカリスマ的な”IKKO”さんが『じゃあ子ども達が将来なんでも嫌と言えば、避けて通れるのでしょうか??』と語った背景にはそんな思いが凝縮されていたのではないのかな~なんて自分なりに推察して考えてみました。
だってカリスマになるってことは絶対に人には言えない苦労を積み重ねて生きてきた結果ですからね。そういう人が発信する言葉には、パワーを感じるとともに本質を感じます。
人間生きていれば、嫌なことに遭遇することがたくさんありますが、そんなときにどんな人がまわりにいるかでそこに向き合う姿勢が変わっていくということですよね。どういう親なのか、どういうチームメンバーなのか、どういう先生なのか・・・
『嫌と言えば簡単に避けて通れるという感覚を植え付け過ぎない』
これが大切ではないでしょうか。
最終的に『言ったもん勝ち』みたいに世の中がなるのはよくない傾向だと思うので、今日はそこに対する自分の考え方を少しお伝えしてみました。
お読みいただいた方の何かのヒントと未来のハッピーに少しでもつながれば幸いです。