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良質の”憤”と悪質の”憤”?? ~内側の矢印と外側の矢印の大違い~

日曜日は基本的に息子のサッカーチームのコーチとして過ごすことが多くなります。

先日の練習の最後にミニゲームをやって、自分がゲームセットの笛をふいた途端、地面に泣き崩れて悔しがる子が・・・自分のチームが負けてしまったのが悔しかったのでしょう。それに加えて、彼なりに納得がいかなかった何かがあったのかもしれません。

まわりのメンバーも泣き崩れて立ち上がれない彼に寄り添って、それぞれが声をかけています。なんだかいいシーンだなと思って見ていました。

練習のミニゲームでそこまでならなくても・・・とは思いますが、実際の大会やちゃんとした試合の真剣勝負で負けたときなどは数人の目から涙がぽろり・・・そんなシーンもこれまでたくさん見てきました。我が子も悔しさで涙を流すことは多いほうかもしれません。

そんなシーンを見ながら思ったのは、彼らがその場で体感した『憤り』のエネルギーを自分たちに成長につなげていってほしいということ。

人間が一番モチベーションが高まる因子は・・・

『憤(ふん)』

だと聞いたことがあります。

憤とは、『憤る(いきどおる)こと』ですよね。

例えば、今回のように勝負ごとに負けたときの憤り、彼氏や彼女にふられてしまったときの憤り、上司に理不尽な評価をされてしまったときの憤り・・・生きていればたくさんの憤りがあるわけです。

そんな時に多くの人が心の中で呟くのは『今に見ていろ!!見返してやる!!』って感じでしょうかね。

当然、なんらかの競争や勝負に負けてしまったときに『憤』の感情が芽生えるでしょう。しかし、そこで大切なポイントは、

『憤の感情やパワーを自分のプラスにつなげること!!』

つまり、『今に見ていろ!!見返してやる!!』と言って、あいつは〇〇だから・・・と相手のことを否定したり、環境のせいにしたり・・・そんな人は、矢印を自分の外側に向けるクセのある人間ですよね。

大切なことは、『憤』のときに自分の内側に矢印を向けられるかだと思うのです。せっかく『憤』という状況が自分におとずれて、そこでわき上がったパワーやモチベーションは自分に向けると得をする外側に向けてたら、何も得をしない。

人生の中でいろいろな競争に一喜一憂しながら『憤』のパワーを与えられたときに自己成長のパワーにしてしまう人が賢い人であり、他者否定のパワーにして、現実逃避するクセのある人は、そのパワーをまったく自分の成長につなげられていない。非情にもったいないことをしているなと。

個人的には、

自己成長のパワーにつなげていくことを『良質の憤』

他者否定や現実逃避のほうにつなげていくことを『悪質の憤』

と区別しています。つまり・・・

『自分の意識やパワー&エネルギーの矛先をどこに向けるかで未来は大きく変わる』

そしてそれは、自分で気を付けていればコントロールすることができるということ。

憤りという感情が発生するということは、理想や目指すべきゴールや姿をしっかりもっている証拠とも捉えることができます。自分が思い描いている理想や常識と、相手のとった行動がかけ離れていたり、勝負や競争で言えば、その結果が伴わなかったときに、人はそんな感情になることが多いのではないでしょうか。

今回、悔し涙を流していたメンバーの1人には、そういう理想や目指すべき姿とのギャップがあったのでしょう。自分が点を取ったけれど、勝負には負けてしまった・・・など

でも、そんなときこそ、パワフルな感情を自分のマイナス評価のほうへ向けてしまっては賢くないと思いますね。せっかくの大きなパワーを自分のため、相手のためになるようにうまくコントロールできるようになることが人としての成熟度の高さだとも思っています。

もちろん、彼らはまだ小学2年生ですから、成熟という言葉にはまだまだ遠いステージに今はいると思います。だからこそ、そこで、まわりにいるコーチや親がどんな声掛けをするかが大切だとも考えています。その『憤り』の矛先をどこに向けてあげられるかということですよね。

自分も小学3年生のとき、チーム内のレギュラーチームから降格させられたときに強く感じた『憤』があったわけですが、両親がうまく導いてくれたことを今ではとてもありがたく思っています。そのエピソードは以下にリンクしておきますね。

本日は、メッセージシリーズ第?弾とします!! 今日はこれ~   「誰の中にも偉大な可能性がある」 「誰の中にも、発掘され、磨かれることを待っている可能性がある。」 人はそ
2010-11-25 23:32

突然の降格指令に戸惑いと『憤り』を強く感じていた雑賀少年に対して、自宅の庭にゴールを作ってくれたこと、そしてナイター設備もつけて、夜ごはんになるまで練習に付き合ってくれたこと、そして毎朝のランニングに付き合ってくれたこと。それらの環境を用意してくれたからこそ、他者否定や現実逃避のほうに矛先をを向けることはなかったし、自分の中での挫折を『良質の憤』につなげていくことができた。そして、そこからの復活ストーリーが、自分の今を支えている原体験にもなっているのかなと。

人が持っているエネルギーとかパワーというものは個々で確実に差があるな~と個人的に感じています。何かの出来事や誰かに対して、本気で憤慨できるというのは、その人が人一倍のエネルギーやパワーを持っているというふうに考えることもできるでしょう。

だから、本気に悔しいと思える子ども達を見ていると、これからいくらでも伸びるな~と感じるわけです。でも導き方によってはマイナスの方向へと誘導しかねない・・・

世の中のリーダー的立場になっていく人にとって、『エネルギー量』というのは大切な要素だと思っています。だからこそ、そのエネルギーを有効に使う術を磨いていくことが必要でしょう。

その術を磨いていくポイントとして、悪質の憤を良質の憤に切り替えるきっかけを与えるのも、子ども達のまわりにいる大人や指導者(先生やコーチなど)の大切な役割だなと思いますね。

でも、自分もまだまだ成熟度は高くないときがあり、自己反省を繰り返す日々でもありますね~。これからも、常に自己研鑽に努めていきたいと思います。

今日は、我が子のサッカーチームのあるシーンから、親としてコーチとして感じたことを書いてみました。

お読みいただいた方の何かのヒントと未来のハッピーに少しでもつながれば幸いです。

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