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何を教えればいいんだろう?? ~偽りのプライドと仮想的有能感の罠~

昨日、電車に乗って移動中、自分と同じか少し年上のサラリーマン2人の会話が耳に入ってきました。

会社の若手社員である部下のAくんのことについて話しているようです。

おそらく、Aくんが仕事でなんらかのミスをしてしまったようで・・・

『Aくんは、お客さんになんて言ったと思う?』

『すみません、私が完全に忘れていました。私のミスです・・・そんな感じですか?』

『そうやってちゃんと自分のミスだと認めれば、お客さんもある程度は理解してくれるけれど、実際にはそういう返答ではなかったんだよね。』

『じゃあどんな返答をしたんですか?』

『忙しくて対応できませんでした。・・・そう言ったんだよ。』

『それはまずいですね』

『そんなことが続いたので、この前会社のほうで、Aくんにいろいろ現況についてヒアリングがあったらしいよ。』

『ちょっとミスが重なっているけれど、大丈夫か?・・・と質問されたときに、Aくんはなんて答えたと思う?』

『上司が何も教えてくれないんです。・・・と発言したらしいぞ。』

『それで、こちらに話がまわってきたから、そうではないと状況はちゃんと話したんだけど・・・』

『じゃあ、こちらは何を教えればいいんだろうな??』(悲)

そんな一連の会話だったと思います。私もその会話を聞いていて、その二人の心中お察ししますという感じでしたね。Aくんのような案件は、そりゃー普通の人なら愚痴りたくなるでしょうね。

Aくんの言動からある程度わかることは、Aくんはあらゆる場面で『自分の非を認めないタイプ』ということ。『忙しくて対応できませんでした』『上司が何も教えれくれないんです。』この2つの言動は完全に、自分のせいではないことを主張する言葉遣いですからね。

こういうタイプの人は、残念ながら成長しない人であり、その典型的なタイプかなと・・・

『虚勢を張る』という言葉がありますが、その意味は、

うわべばかりの勢い。見せかけの威勢のよさ。からいばり・・・

まあ、コンサルティング活動を20年も続けていると、その人が本当に力がある人間なのか、力があると見せようとしているだけの人間なのかがなんとなくわかるようになりました。

まさに、Aくんは力があるように見せようとしていることが彼が使う言葉から明確にわかりますよね。

このように日々、虚勢を張って生きている人達と遭遇することもあるのですが、そんな人達を見ていて自分が感じてしまうのは、

『この人、本当は弱くて自信がない人なんだろうな』ということ。

『いつも何かを恐れて生きているんだろうな』ということ。

でも、当の本人はそういった認識や自覚がない人がほとんどかもしれません。

自分の中で自信のないことを自覚しつつ、それを隠そうとするため他者をこき下ろたり、勝手に他者の能力を軽視することで相対的に自分を上げようとすることにいつも必死。

これを「仮想的有能感」と言います。

以下の文章は、教育心理学者の速水敏彦氏の著書から抜粋したメッセージ。

『自己肯定感が不安定な若者が多い一方で、根拠なく他者を蔑視することで有能感、自己肯定感を得ている若者もいます。彼らは、勝手に他者の能力を軽視することで偽りのプライド、すなわち”仮想的有能感”を抱いて行動するのである。

仮想的有能感の高い人は、何よりも自分が弱い存在だと思われたくない。例えば、学業成績が悪い、運動競技に負けたという現実があっても、率直に自分の能力や努力の足りなさを認めるというよりは、先生の指導が悪かったとか、競技場のコンディションが悪かったと自分以外の要因に帰し、自己責任を回避するものと考えられる。これをいわゆる「他責思考」と言う。

どうでしょうか皆さん。上記をお読みいただいて、ご自身のまわりに”あっこの人のことだ!!”と思い当たる人はいないでしょうか?

完全にAくんのことですよね。

『偽りのプライドである仮想的有能感』

を維持するための必死に誰かを否定したり、罵倒したり、軽蔑したりする日々を過ごしている人。

職業柄、いろいろな人の相談に乗ることが多いですが、このような人が組織内に存在していて、困っているという相談はけっこう多い案件かもしれません。先日も、以前からお付き合いのある園長先生の相談にのっていたのですが、まさにこれに当てはまる人がいるというお悩み。

言い方を変えれば・・・

仮想的有能感を維持できなくなる状況やきっかけは、

・失敗をしてそれを自分が認めること

・誰かに怒られたり、否定されてしまうこと

そんなシーンや瞬間なのかなと思います。そんな状況にならないように・・・

・なるべく失敗をするようなチャレンジは避ける

・前例がないことや経験がないこともやりたがらない

・失敗を認めず環境や他者のせいにする(他責思考)

・怒られているのにすぐに謝らない(認めない)、言い訳をしたがる

Aくんのようなタイプは、仮想的有能感を自分の中でキープするための言葉遣いや行動の傾向が強く出るタイプ。

『何よりも自分が弱い存在だと思われたくない』

という心理が強く働いていて、そこに起因した言動や行動になっていると思うのですが、自分自身がそのような人に遭遇したときに思うことは・・・

『この人、本当は弱くて、いつも何かに恐れを感じながら生きているんだろうな』ということ。

このように弱くていつも何かに恐れを感じている人は、

相手に自分の弱みを極力見せないようにすることに一生懸命な日々。

より強く見えるように立ち振る舞うことに一生懸命な日々。

偽りのプライドを誇示しながら生きていく人たちは、基本的に他者に対しての共感性が低いという共通傾向がありますので、その生き方の時間経過の中で何が起こるのか?

『まわりの人たちとの望ましい人間関係を築いていくことができない』

という行く末になっていく。チームや仲間の中でちょっと浮いている存在になっていく。おそらくAくんもすでにちょっと浮いた存在になっている可能性大です。

本当は弱くてもろい人間であれば、まわりの人たちとの健全で建設的な人間関係を築いていくことで、人生を乗り切っていく必要があると思うのですが、その真逆の状態を自分自身で引き寄せてしまっている。

でも、そういう人たちは、この本末転倒な実態に気付かない、というよりも薄々気づいていても、気づかないふりをして、その仮想的有能感を維持しようとする思考やクセが優先されてしまう。

そんな悪循環スパイラルの人生から抜け出せない方が多いんだろうなと思うわけです。

Aくんのように虚勢を張り続けていたり、自分の非を決して認めないいさぎよくない人に対して、自分が感じることは・・・

『強く見せようとすればするほど、弱さを露呈している』ということ。

なかなかそういう人が自分のありさまに気づいて、改善していけるか?というと難しいのかもしれませんね。そして、誰かから指摘されたり、注意されたりすること自体が仮想的有能感を維持できなくなるわけだから、そういう状況や実態に遭遇したら向き合おうとする姿勢はとらず、逃避をする。

だから、先ほどのフレーズが口からでてしまうのもわかる・・・

『何を教えればいいんだろう??』

この問題の本質を考えていくと、やはりその人がどんな環境でどんな教育や影響を受けて育ってきたのかに起因していくのかなと思います。そして、大人になればなるほど、そういう人たちの自己変革の難易度は上がっていきますからね。

『Aくんはこれからどうやって、仮想的有能感の悪しきスパイラルから抜け出せるのか?』

かなり難題なのかなと思います。だって、Aくんの過去に戻って環境改善してあげられないですからね・・・ということで、Aくんの上司と先輩お二人の心中お察ししますという感じでした。

今日はふと電車の中で耳に入ってきた会話を通じて、自分が思ったことをメッセージにしてみました。

お読みいただいた方の何かのヒントと未来のハッピーに少しでもつながれば幸いです。

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