当たり前の基準を上げていくことがリーダーと親の役割? ~匙(さじ)に神が宿る~
- 2024.04.19
- PERSONAL COACHINGMESSAGECONSULTING
昨日は、数十年お付き合いがあり、私が法人の監事にもなっている東京にある幼稚園の園長先生と銀座にて会食&情報交換タイム。
銀座も以前はちょこちょこ足を運ぶ機会はありましたが、最近はだいぶ少なくなっていたので新鮮な気持ちで、いろいろと有意義な時間を過ごすことができました。園長先生が予約してくれたBarの雰囲気も銀座ならではで、そういう空気感も堪能できた心地よい宴となりました。
東京と言えども、やはり幼稚園は運営面でネガティブな傾向の園が多いということで、その園が所属している私立幼稚園協会にて、園長先生を対象にした研修会の講師依頼もいただきました。
このように、職業柄、日々異なる組織や個人と接する機会が多いことで、何を強く感じているかと言えば・・・
『当たり前のレベルが各組織と個人で異なること』
例えば、わかりやすいところで言うと、挨拶、電話対応、掃除(クリンリネス)、整理整頓、お客様対応、打ち合わせや会議、ホウレンソウ・・・
それらのすべてのレベルに必ず差があるわけで、それを日々感じることができるのは、ある意味貴重な仕事をさせてもらっているなとも思っています。その差がある程度わかって整理されているからこそ、コンサルタントやアドバイザーという仕事ができるとも思っています。
逆に言えば、日々同じ組織や同じ環境に身を置いていたら、それらの『当たり前のレベル差』にいつの間にか気づけなくなってしまうんだろうなとも思うわけです。
こちらが挨拶しているのに、ちゃんと返してくれない組織もある。その逆にその組織で働く人達がすべて笑顔で先手で立ち止まって丁寧に大きな声で挨拶してくれる組織もある。
そういえば、自分がかつて大学生だったときに、ペリカン便でお歳暮を配るアルバイトをしていたのですが、ある会社に荷物を届けたときに、数十人の社員さんたちがパソコンを打つ手を即座に辞めて、皆さんが立ち上がってただの学生の配達アルバイトに元気な声で「ありがとうございます!!」と丁寧に声をかけてくれたシーンを思い出しました。
学生ながらに、なんだか感動してしまいましたね。今までそんなことを大人の人達にされたことがなかったので、こういう素晴らしい人達も世の中にいるんだな~と思った自分を思い起こすわけです。
その会社は地域でガソリンスタンドを運営展開している会社だったのですが、先日もお伝えしたようにこのご時世閉鎖しているスタンドも多い中、今その会社のガソリンスタンドはかなりの数に増えています。それに加えて、地域貢献的な社会活動も積極的に進めているをインスタグラムなどで発信されています。
『当たり前のレベルが高い会社こそ業績が良い』という事実。
これは、子育てでも言えると思っていて、例えば、親子が手をつないて道路を歩いているシーンの中で、車に乗っている人が、道を譲ってくれたとします。その時に・・・
会釈をしながら「ありがとうございます」と言って相手に感謝する親もいる。その逆に、そんなことは当然だという感じで会釈も挨拶もせず相手を見るそぶりもなくそこを通る親もいる。
でも絶対にそのシーンは子どもが見ているわけですよね、だから自分は絶対に前者の行為をするように心がけていますし、それが当たり前だと思っています。
そして、それが当たり前だと思って行動につなげている親の子どもは、それが当たり前だと思って自分も自然とそうするようになります。そういう親が当たり前だと思ってしている行動や言動のレベルこそ、子ども達の将来の当たり前に結びついていくベースなんだと思うのです。でもその親の当たり前が各人ぜんぜん違うのも事実・・・
それらを『率先垂範』と言ったりしますよね。
最近、リーダシップやチームマネジメントのテーマの研修講師を依頼されることも多いのですが、そこでもリーダーとして信頼を得るための1要素として話すのが『率先垂範』。
『当たり前のレベルは、組織のリーダーの当たり前が反映されて、それを率先垂範しているリーダーがいるからこそそのレベルが浸透していく』
これは家庭でも一緒。逆に組織や個人の当たり前のレベルが一般よりも低いという評価の場合、だいたい、その組織のトップ&リーダーのレベルがそこまでだということ。これは、長年のコンサルタントとして多くの組織や個人と接してきてわかることの1つですね。
だから、リーダーのとても大切は何か?
『ハイレベルな基準を知り、自分が率先垂範して、その基準を組織の当たり前に浸透させていくこと』
つまり、自分と関わるメンバーの”当たり前の基準を上げていくこと”がチームマネジメントの根幹なんだと思うのです。昔からやっている当たり前と思い込んでいることに対して、常によい意味で疑いをかけていくことが求められるわけです。
『できること ⇒ 教えられること ⇒ 育てられること』
成長のステージアップでは上記のように求められることが変化していきます。
当たり前の基準には段階があって、
『個人の当たり前⇒組織の当たり前⇒社会の当たり前⇒一流の当たり前』
というステージがあって、最終的には『一流の人間の当たり前のレベル』を知ることが大切ですよね。いろいろな人を接して感じるのは、そのようなハイレベルの当たり前に興味を持っている人間と無頓着な人間がいるということ。
興味を持っていろいろ学ぼうとしている人は、日々の体感や体験の中からあらゆるヒントを発見することができる。しかし無頓着の人にとっては、同じ体験や環境に身を置いていたとしてもそれが学びや成長のヒントにはつながらない。自分は職業柄、そこに興味を持って学んでいかないと自分の仕事が成立しないので、余計、日々の中で組織と個人の”当たり前の解釈の大きな違い”を感じ取りやすいんだと思いますね。
当たり前の解釈の大きな違いがあることをわかっている人こそ、昔からそうしているからという歴史と前例の罠や皆がそうしているからという思い込みの罠にはまらないように心がけていることでしょう。そして、当たり前は時代の変化とともにその内容も変化していくわけですから・・・
『常に自分自身の当たり前を進化させていく』
という感覚を持ちながら生活や仕事をしていくことが大切だと思っています。そのためには、自分と違う環境や感覚の人達と多く接していくことも必要ですし、たくさんの変化にアンテナを張って自分事として捉えていく必要があるでしょうね。
私がサラリーマン時代のリーダー職に就いていたころ、自分の中で必ず決めていたことがあって、それは、コンサルティング先にご訪問するときに、ちゃんと靴を揃えられない、挨拶ができない若手は次は現場に連れていかないというルール。一流の人ほど、そこをちゃんと見てたりしますからね~。
これを『匙(さじ)に神が宿る』と教えていました。
匙とはささいなこと、細かいこと、小さなことと捉えたらよいでしょう。意識すれば誰でもできるところに手を抜いたりないがしろにする人は、その他のモノゴトに対してもそういう姿勢なんだろうな~と思われてしまう。
そんな部分こそ、日常生活の中に潜んでいる『当たり前のレベル差』だと思っています。意識してみていると人によってけっこう差があるんですよね~
今日は、普段の生活や仕事の中で感じている”当たり前の基準”について自分なりの見解を整理してみました。
お読みいただいた方の何かのヒントと未来のハッピーに少しでもつながれば幸いです。
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