本能的選択眼を鍛える!! ~究極の判断は、理屈ではなく感覚的、反射的にわかることである
- 2023.08.17
- MESSAGE園トータルサポートPERSONAL COACHING
児童発達支援 本能的選択眼 幼稚園 保育園 認定こども園 選択 判断力
毎日暑いですね・・・お盆休みを終えて、仕事モードに頭を切り替えて頑張っている方が多いと思います。
児童発達支援事業の新規開設を弊社CLPがコンサルティングしている学校法人でも、今日は全員のスタッフが集まって、指導訓練室や相談室や事務室の清掃やら備品の設置を行っています。
来週には行政の現地確認があって、うまくいけば9月頭には申請認可を受けて、9月中旬から実際の運営をスタートできそうなところまできました。
その他いくつかの学校法人でも、未来の新しい運営モデル構築の1パターンとして、幼稚園や認定こども園の園舎に併設したスタイルで児童発達支援事業への参入を検討しているところがあります。
多くの幼稚園でかつてたくさんいた園児がいなくなり、園児数減少を強いられている中で、未来に生き残るためのトップの経営判断や選択眼が本当に問われているし、そこが数年後に大きな差になっていくだろうなと思っています。今の運営スタイルのままで継続するか、それとも新しいモデルへと変革していくことを選択するのか?その選択はトップの自由。
ということで、今日のテーマは『選択眼』
例えば、だいぶコロナの影響はなくなりつつありますが、ちょっと前のコロナの状況下で、正しい情報とデータは与えるからあとは自己責任と自己判断で行動してくださいね~と言われたとする・・・
『選択肢は自分で決めていいよ』
ということですが、”それはいいことだ” ”ありがたい”という反応もあればそんなことしたら、”世界が混乱するだけだ” ”責任放棄か!!”なんて反応もあることでしょう。
別にどちらがいいとか悪いとかを言いたいわけではないのですが、本質論で言えば、最終的な責任者は自分自身である・・・と自分は思っています。
そのような前提であれば、選択肢が多いほうが、自分の判断の幅が広がるからありがたいと思えてきます。そして、正しい情報と正確なデータがあれば行動するための選択肢を絞り込みやすくなります。
でも、自責思考ではなく他責思考の傾向が強い人ほど、責任者が誰で、その人が何を言うかに一喜一憂して、何か悪いほうにモノゴトが進んだらその人のせいにして。
つまり、自分ではなく誰かが決めた、もしくは決めてくれたことに対して反応していく・・・それはちょっとした責任逃れグセではないかと思ってしまいます。
原点に戻って考えてみると・・・
野生動物なんかは、食料や餌になるものがなくなったら当然そこから移動します。その場で、危険を予期したり、察知したら、当然逃げます。
それらの選択は、誰かにそうしろと言われたわけではなく、本能的感覚がそうさせているわけで、その選択を間違えたら死がまっている究極の選択だったりしますよね。
その本能的選択眼が長けているものは生き残り、そうでないものは死んでいく。とても厳しい環境、リアルな環境がそこにはあるでしょう。
この選択や判断の能力も日々のトレーニングであり、野生動物の例ではないですが、責任の伴う選択や判断から逃げていると、その本能的感覚や選択眼はなかなかレベルアップしていくことは難しいと思っています。
なんとなく感じていることは、『選択肢の依存傾向』が強い人達が増えているかもな・・・ということ。
フリーで考えるということが苦手で、誰かが指示を出してくれないと動こうとしないとか、選択肢がたくさんありすぎると、それが自由だという受け止め方よりも自分で決めなくてはいけないちょっとした恐れみたいなことを感じる人も増えているような気がしています。
でも、それをいつまでもやっていると・・・いざという時、即座に的確な判断しなければいけないときに、本能的感覚や選択眼が鍛えられていないので、フリーズしてしまうと思うんですよね。傍観者になったり、臨機応変に行動できなかったり・・・
Aさん:選択肢がたくさんあるから面白い
Bさん:選択肢がたくさんあると怖くて自分で決められない
同じ状況に身を置いても、上記のような受け止め方の違いがあるわけです。
子どもの頃は、Aさんの傾向が強かったのに、大人になるにつれてBさんの傾向が強くなっていく人もいるように思いますね。選択する機会を抑制されてきた人に多い傾向ではないでしょうか。
そういう人に会うと・・・誰かが選択したレールの上を歩きすぎたんだろうな~と思ったりします。そういう環境に身を置いてきたのかなと。
生きる力とよく言いますが、その1つとして大きいと自分が思っているのは
『本能的選択眼』
「究極の判断は、理屈ではなく感覚的、反射的にわかることである」
と以前、誰かに言われたことがあるのですが、それって、勝手に身に付くものではなくて、”責任の伴う選択と判断”を人生の中で何度も繰り返していく中で身に付いていくものだと思っています。
それを繰り返す時間の中でこそ、”生きる力”が蓄積されていくということではないでしょうか。だから、子ども達にはある程度の選択肢を与えて、自分で判断して決めるという経験を積ませてあげることが大切だと思っています。状況や個人差に応じて、そのさじ加減をするのが、まわりにいる大人たちの大切な役割なのかなとも思っています。
段階的トレーニングを積んでいなくて、いきなり社会に出て、責任の重い選択と判断をしろと言われたら、それは誰でもフリーズしてしまうでしょう。
私なりの『本能的選択眼』では、幼稚園や保育園や認定こども園に併設した児童発達支援&放課後デイサービスの運営スタイルは、近い未来のスタンダード的運営モデルになる
と感じています。しかし、現時点では全国で見ても数えられるくらいしか事例がないのが実態。ということは今やれば先駆者になれるチャンスだということ。
もちろん理屈でも説明することはできますが、感覚的な部分が大きいですかね。ということで、興味がありそうな園長先生には情報提供をさせていただいたり、実際に開設までのサポートコンサルティングなどを行っています。
ご興味がある方は以下の問い合わせフォームからぜひご連絡下さい。
やはり、時代の半歩先の選択眼をもっているトップが成功していると思いますし、そういう方々はいつでも情報のインプットを怠りませんよね。昨日お会いして会食をさせていただいた社会福祉法人のトップの方も保育園をベースに16施設運営されていますが、そのステージに甘んじることなく次のチャレンジとして療育の分野に進出するという話をされていました。
情報がたくさん手に入り、時代の流れがスピーディーに動いていく中だからこそ、『本能的選択眼』を意識的に鍛えていくというプロセスは大事だと思います。
そういうプロセスを意識的にとるということもある意味、選択眼でしょうね~
お読みいただいた方の何かのヒントと未来のハッピーに少しでもつながれば幸いです。