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偽りのプライド(仮想的有能感)の行く末は? ~枝葉で取り繕う人生と幹で勝負できる人生~

昨日は、息子の卒園式に出席させてもらいました。

コロナの影響を受けながらスタートした幼稚園生活もあっという間に3年が経過してしまいましたね。

年長組のお休みも1人もなく、全員そろっての卒園式。厳かな雰囲気の中で緊張しながらも丁寧に修了証書を受け取る姿に、それぞれの成長が感じられました。コロナによる制限がある中、園の方々も子どもたちも保護者たちも試行錯誤で協力しながら乗り切った3年間だったのかなと思います。

我が子も幼稚園生活の最後の時間をしっかりかみしめながら過ごしている姿が見て取れました。

園長先生からのメッセージの中に・・・

『小学校に行っても、わが園は皆さんを応援していますので、いつでも遊びに来てください』

という言葉がありましたが、とても素敵なメッセージだと思いましたね。

園と子どもやそのご家庭については卒園すると急に関係性が切れて、その後のつながりが途絶えてしまうパターンが多いのですが、地域との良質なつながりやファンづくりという園のブランティングポイントを考えると、卒園した子どもやそのご家庭とのつながりを継続できる体制づくりがとても大切になりますからね。

幼稚園・保育園・認定こども園のトータルサポート事業をメインとしている弊社CLPでは・・・

『生涯園児発想』

という考え方を1つの運営戦略の基本コンセプトにしながら各園のお手伝いをしています。

あなたの園のファンがファンを呼び、ファンを増やしてくれる。

そのためには、子ども、保護者、地域の人々との1つひとつの接点を大切にすること。そして、長期的につながり合い、価値を継続的に提供できる体制を作っていくこと。子ども達が大人になるまで生涯を通じて、園と良質なつながりを維持していくことで、地域にファンが増えていく。

それをカタチにするために新しい運営モデルである『地域の教育総合コミュニティ施設』へのチャレンジと進化を目指していく。

というそんな園のトータルブランディングを実現していくサポートをしていくことを大切にしています。

昨日、幼稚園を卒園した子どもたちが、将来どんな大人になってどんな環境でどんな活躍をしていくのか?未来に思いを馳せる卒園式でもあったような気がします。

未来は今の現実の延長線にあるわけですが、良い現実もあれば、そうでない現実もあり、今そこにある現実を我々大人がより良い方向に導いていくことも、子どもたちの素敵な未来につなげていくための大切な役割なんだと思います。

そこで、最近ちょっと気になる現実??ということで、自分のまわりにちょこちょこ登場してきて、どうも気になってしまう人たち(子どもも大人も含めて)、つまりちょっとよろしくない現実のほうのお話をしてみようかなと思います。

以下の文章は、教育心理学者の速水敏彦氏の著書から抜粋したメッセージ。

『自己肯定感が不安定な若者が多い一方で、根拠なく他者を蔑視することで有能感、自己肯定感を得ている若者もいます。彼らは、勝手に他者の能力を軽視することで偽りのプライド、すなわち”仮想的有能感”を抱いて行動するのである。

仮想的有能感の高い人は、何よりも自分が弱い存在だと思われたくない。例えば、学業成績が悪い、運動競技に負けたという現実があっても、率直に自分の能力や努力の足りなさを認めるというよりは、先生の指導が悪かったとか、競技場のコンディションが悪かったと自分以外の要因に帰し、自己責任を回避するものと考えられる。これをいわゆる「他責思考」と言う。』

どうでしょうか皆さん。上記をお読みいただいて、ご自身のまわりに”あっこの人のことだ!!”と思い当たる人はいないでしょうか?私の場合は数人ほど、ばっちり思い当たる人がいますね。

『偽りのプライドである仮想的有能感』

を維持するための必死に誰かを否定したり、罵倒したり、軽蔑したりする日々を過ごしている人。職業柄、いろいろな人の相談に乗ることが多いですが、このような人が組織内に存在していて、困っているという相談はけっこう多い案件かもしれません。

先日も、2時間のスポット相談&ショートコンサルティングで以前からお付き合いのある園長先生の相談にのっていたのですが、まさにこれに当てはまる人がいるというお悩み。

言い方を変えれば・・・

仮想的有能感を維持できなくなる状況やきっかけは、

・失敗をしてそれを自分が認めること

・誰かに怒られたり、否定されてしまうこと

そんなシーンや瞬間なのかなと思います。そんな状況にならないように・・・

なるべく失敗をするようなチャレンジは避ける

前例がないことや経験がないこともやりたがらない

失敗を認めず環境や他者のせいにする(他責思考)

怒られているのにすぐに謝らない(認めない)

言い訳をしたがる・・・

今の若い人たちの傾向として、すごくまじめで、他人を馬鹿にしたり、他者のせいにしたりすることはあまりしないけれど、

『やたらと失敗することを恐れて、まわりの様子や評価を常に気にしている人』

がとても多い。これはコンサルティング現場で強く感じている傾向です。これもある意味では「仮想的有能感」を維持するための行為なのかなと。そういう人に話を聞くと、共通して発信されるフレーズは・・・

『自分に自信がありません』

なんだか、それがわかってしまうと、こちらもその人を見ていてつらくなってきますよね。だって、有能でない自分を偽るための生き方を続けていくということですから。おそらく、そのような生き方を継続していくと、本当の自分や自尊心というものがなんだかわからなくなってしまうと思いますね。

木の幹がすかすかなのに、枝葉の見栄えでなんとかしようとしているのですが、最終的にはその木の本当の生命力は高まらないし、ひどい場合にはその木は枯れていってしまうという感じ。

『何よりも自分が弱い存在だと思われたくない』

という心理が強く働いていて、そこに起因した言動や行動になっていると思うのですが、自分自身がそのような人に遭遇したときに思うことは・・・

『この人、本当は弱くて、いつも何かに恐れを感じながら生きているんだろうな』ということ。

このように弱くていつも何かに恐れを感じている人は、相手に自分の弱みを極力見せないようにすることに一生懸命な日々。そして、より強く見えるように立ち振る舞うことに一生懸命な日々。

そのような人と本当に強い人の差は何なのか?

『弱みも見せられる強さ』ではないでしょうか。

本当に強い人は、自分を強く見せる必要もないし、強く見せようなんて思っていない。だから、いつも余裕があって、自然体でオープンハート。そして、あえて自分の弱みも見せることができる。それが本当の強さなんだろうなと自分としては思っています。

つまり、本当に強い人の共通項は・・・『謙虚さと柔軟性』

そんな話を研修や講演会などではさせていただくことが多いですかね。

偽りのプライドを誇示しながら生きていく人たちは、基本的に他者に対しての共感性が低いという共通傾向がありますので、その生き方の時間経過の中で何が起こるのか?

『まわりの人たちとの望ましい人間関係を築いていくことができない』

という行く末になっていく。チームや仲間の中でちょっと浮いている存在になっていく。

本当は弱くてもろい人間であれば、まわりの人たちとの健全で建設的な人間関係を築いていくことで、人生を乗り切っていく必要があると思うのですが、その真逆の状態を自分自身で引き寄せてしまっている。

でも、そういう人たちは、この本末転倒な実態に気付かない、というよりも薄々気づいていても、気づかないふりをして、その仮想的有能感を維持しようとする思考やクセが優先されてしまう。そんな悪循環スパイラルの人生から抜け出せない方が多いんだろうなと思うわけです。

この問題の本質を考えていくと、やはりその人がどんな環境でどんな教育や影響を受けて育ってきたのかに起因していくのかなと思います。そして、大人になればなるほど、そういう人たちの自己変革の難易度は上がっていきますからね。

あらためて、幼児教育をはじめとする子ども達の環境プロデュースが未来を変えていくんだなと、息子の卒園式の子どもたちの姿を見ながら、そして現代社会の現実から感じたので少し整理させていただきました。

やはり、枝葉で取り繕う人生を強いられるのではなく、しっかりした幹を持ち、本当の自信や自己肯定感をベースに力強く、謙虚さと柔軟性をもって楽しく生きていける子どもたちを育てていくことが我々大人の役割なんだと思います。

お読みいただいた方の何かのヒントと未来のハッピーに少しでもつながれば幸いです。

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