幼児教育の核とは?? ~可能性の器を育てるベースメント教育~
2月に入りました。日によって気温差がけっこうありますので、
コロナは当たり前として、体調管理に気を付けたいですね
でも、最近電車に乗ったりすると、一般的に風邪の症状である咳を
している人がぜんぜんいないような気がします。
例年ですとこの時期は、風邪ぎみで咳きこんでいる人が多くなるような気がしますが、
今年は、皆さんマスク着用の効果なのか、そういう人達が少ないのも特徴でしょうか。
ここ数年アドバイザーとして新しい幼児教育施設の開発の仕事に携わっていますが、
ついに4月から港区白金台にてその施設がオープンします
”プレゴールデンエイジのための”保育型幼児教育スクール”という運営スタイル。
毎日コースだけではなく、ママの働くスタイルに応じて、通わせる日数を
セレクトできるシステムを導入するところも新しいスタイルかと思います
正社員の人、パートタイマーの人、フリーランスの人、テレワークの人・・・
ワークスタイルが多様化していますし、子どもとの時間や距離感などの考え方
もそれぞれ違いますからね。時代のニーズに応じて変化することは大切かと思います。
プレゴールデンエイジとは、具体的には2歳から6歳くらいまでの期間なのですが、
一般的には幼児期と言われるステージですよね。
激変する未来に向かって、逞しくしなやかに生きる力を培うために、
この年齢の子ども達にとって何が大切なのかを考えて、「体感と音感」を軸に、
多様なプログラムを統合したトレーニングメニューを提供していくことが
このスクールの特徴になっています
昨日も、上記とは別のコンサルティング先の会社で、将来的な運営戦略を社長&幹部と
打合せしているときに、プレゴールデンエイジ教育の大切さについて考え方
をシェアする時間がありました
その会社も中長期的な事業プランとして、幼児教育や子ども達の活動に関する
研究&リサーチ事業を立ち上げる予定でプランニングを進めているところです
大人になった人達が人生を振り返ったり、世の中の多くの人達と
接してきたりした結果・・・
あらためて大事だと立ち返るステージが”幼児期”であることがよくわかります。
そんな感じで、自分の仕事の中で幼児教育というテーマの中で思考をめぐらす
時間が他の人よりも多くあります。では自分が考えるキーポイントは何なのか?
自分なりのキーフレーズを上げるとすれば・・・
『可能性の器を育てる』(ベースメント教育)
ということになります。
その思いや考え方については以前このブログで一度ある程度整理して
お伝えしているので、かつて書いた内容を以下に引用してお伝えしたいと思います↓↓
『人間の心と体のベースメント教育の重要性』
ベースメントとは、基礎とか基盤と考えてもらえばいいでしょう。
今回、『子ども達の可能性の器をどれだけ大きくしてあげられるか』という
私なりのテーマに対して、”カラダ”という視点でアプローチしてみたのですが、
それは心とも連動していますし、脳とも連動していることになります
カラダのプロフェッショナル、心のプロフェッショナル、脳のプロフェッショナル
と呼ばれる方々とのご縁の中で、その方々からたくさんのことを学んでみて
わかることは・・・・
『乳児期・幼児期にそれらのベースの大部分が出来上がってしまう』
ということ。まさに”三つ子の魂百まで”という言葉そのものですよね~
心と体のベース(器)が大きく育っていればいるほど、
たくさんのインプットができるようになるわけです
私はそれを『感覚を取り込む力』と表現したりします
正しい感覚を取り込めなければ、正しい認知ができなくなるわけです
正しい認知ができなければ、正しい行動や言動ができなくなるわけです
その結果としてどんな現象がその人に起こりうるかというと・・・
・求められている仕事の成果を上げることができない
・目の前で起こっている問題を認識できない、故にもちろん解決できない
・相手のニーズや状況を認識できないので、人間関係がうまくいかない など
その繰り返しの中で、社会の中で自信を失い、孤立していく・・・
つまり、インプットの質が上がらないと、アウトプットの質も上がらないわけで、
アウトプットの質が上がらないと、社会的な評価が上がらないというプロセス
になっているんだと思います。
”感覚”は”センス”と言い換えることもできますが、
一般的に、「Aさんはセンスがあるから・・・」 「Bさんはセンスがないから・・・」
なんて使い方をするときがあります。
もちろん、センスは大人になってからでも磨き続けることはできると思いますが、
限界はあると思うんですよね~
これは、個人的にいろいろな方々の育成に関わる中で、
強く感じていることでもあります。
センスは、なかなか教えられないんです
センスは、マニュアルにできないんです
『センスはその大部分が、子どもの頃に培われている』
感覚を取り込む力がある=センスに長けている人は、
基本的に応用力が高い傾向があるように感じています
”1を聞いて10を知る”といった感じでしょうか
その逆にその力が培われずに大人になってしまった人は、応用力がなく
”1を聞いて1をするのがやっと” もしくは、その都度聞かないとできない・・・
つまり、可能性の器が大きく育っていない人間は、
学んだことや指導されたことが積みあがっていかず、零れ落ちていくわけです
だって、それを受け入れる器が小さいので、すぐにキャパオーバーですから
可能性の器が大きく大きく育っている人間は、
スポーツでも音楽でも勉強でもある程度受け入れながら、
自分の可能性がさらに活かせる場所、センスを活かせる場所を
探してく猶予が与えれるということでしょう
現実問題として、そんな簡単に自分が活躍できる仕事や居場所は見つかりません
ましてや、これからは、人工知能やコンピューターが更に進化をするので、
人が担える仕事の種類や数も今より減少していくことが予見されています
今、当たり前のように給料をもらえていた仕事は、将来的になくなるかもしれません。
これを、『便利さの裏返し』と言うのでしょう。
「そんな時代なので私は無理です。」
なんて言っていられないのが現実の世界。
生きていくため、そして自分が活躍できる仕事や居場所を見つけるためには、
忍耐することやチャレンジすることや判断することや考え直すことや・・・
そんな場面の繰り返しをクリアしていくことが必要でしょう。
そんな場面の繰り返しを上手に乗り越えていく力をつけていくためのベースに
なっているものが”可能性の器”であり”感覚を取り込む力”だと思いますね
大人のエゴと勉強不足が原因で、かわいそうだな~と思う光景は、
心やカラダのベースメントが十分に育っていないのに、勉強したり、習い事をしたり
する時間を親が決めつけてやらされている子ども達・・・
教育やしつけの外注化傾向がありますが、個人的には、
『親が子どもにかける直接の手間暇こそ、最も大切なベースメント教育』
だと思っています
そういえば、自分の母親と先日話していたら、
小学校のときに、クラスの母親同士で話す機会があって、どのような子に育てたいか
というテーマのときに、こんなことを伝えたそうです。
『うちの子は勉強なんてできなくていいから、スポーツができる子になってほしい』
母親たちの中には、きょとんとしていた人達もいたそうですが、
確かに、自分は親に勉強しろなんて言葉はまったく言われたことはありませんでした
でも、性格なのか、小学校から帰ってくると、絶対に宿題は終わらせて、そして
翌日の準備をしてランドセルをいつもの場所にセットしてから遊びに行っていたことを
思い出します。(ちょっと神経質だったかもしれません)
つまり、うちの親としては、勉強だけしていても、人間として大切なベースは
十分に育たないことを認識していたんだと思いますね
そして、カラダを使うスポーツの環境が、それらの力をつけるには、よいのではないか
という思いがあったんだと思います
上記はあくまでも、自分の事例ではありますが、
少なくともいえることは、自分の親が上記のような思考でなければ、今の自分は
存在していないだろうな~ということですね
そういう意味では、自分のベースは確実に自分の両親が築いてくれた部分が
大きいと思います。あらためて感謝ですね。
(でも、両親ともにこのブログまったく読んでいません・・・)
子ども達の心と体のベースメント教育をもっともっと高いレベルで実現できる
幼児教育施設をどうやって増やしていけるか??
それが、世の中がより豊かにハッピーになっていくための手助けとなる。
そんなことを、弊社CLPが具体化、具現化していけたらいいなと思っています。
まあ、日々そこにつながるような時間を過ごせていることはとても幸せなこと
だなとも思いますね。そして、そんな時間の中でやはり、子ども達の
幼児教育の軸や本質は・・・
『可能性の器を育てる(心とカラダのベースメント教育)』
だと強く思う自分がいます。
可能性の器が大きい人間は、人生の可能性や選択肢が広がるからこそ、
その人生を柔軟にしなやかに生きることができるようになる。
可能性の器が小さい人間は、人生の可能性や選択肢も残念ながら狭くなる。
そして、可能性の器は、大人になる前の幼児期に培われる部分が大きい。
だから、幼児教育が大切ということになりますかね。
今日は、自分が軸を置いている幼児教育に関する仕事時間の中であらためて
思っていることをお伝えしてみました。
お読みいただいた方の何かのヒントと未来のハッピーに少しでもつながれば幸いです。