ルーティンワークではその人の素や本質は見抜けない!!
今日は、数ヶ月ぶりに新幹線に乗って1泊2日の関西出張
想定していた以上に、新幹線は通常時よりもかなり人が少なかったですし
経由した京都駅もいつものようなにぎわいは全くない感じ
コロナ以前の状態に戻るためには、まだまだ時間がかかりそうですね
先日、仕事の帰宅途中に自宅近くのコンビニに立ち寄ったとき、
夜もけっこう遅い時間だったので、何人かの店員さんが品出しを行っていました
ちょうど品出しをしている棚にある商品をちょっと見たかったので、
どれにしようかな?と思いながら物色していると、人が見ているのに
そこにダンボールがどかんと置かれて、若い女性アルバイトの店員が
こちらをまったく気にせず、そのまま品出しを続行したのです
その瞬間・・・自分の頭の中で『プチっ』という音がしたことを
今でも思い起こします。(もちろん悪気がないことはわかっていますが)
あまりにも想定外の展開だったので、もういいやと思って
その棚の商品はあきらめて、違う棚に移動してしょうがなく違う商品をセレクト
ちょっとイラつきながら、全員で品出ししているから誰もいないレジに
カゴを置くと、まさかのその女性アルバイトが駆け寄ってくるではありませんか
そんなシーンでの自分の心の声は・・・
『あんなレベルの子だから、レジの対応もすこぶる横柄なんだろうな~』
しかし、実態は真逆だった・・・
とても感じのよい笑顔になり、「〇〇円になります」の声のトーンも明るく
元気な声で「ありがとうございました」と最後までベストな対応
故に、もしこの女性アルバイトの品出しシーンを見ないで、レジ対応だけ
見ていたら、すごく印象の良い子だと思うのですが、あの品出しシーンを
体感してしまった自分にとっては、そのギャップに驚いたというのが本音
そんなことを体験して思ったことは・・・
『ルーティンワークではその人の素や本質は見抜けない』
ということですね。
そして、この現象って今の若い子の1つの特徴的な現象?なのかもしれないとも
思いましたね。
決められたこと、教えられたこと、マニュアル対応できること、
そういうルーティンワークについて、丁寧&忠実に対応するのはけっこう得意
しかし、決められてない、教えられていない、マニュアル化しにくいこと、
つまりルーティンワークからの応用的な部分については、すごく差がでてしまう
なぜか??
これは自分の仮説でしかないですが、
ヘリコプターペアレンツの仕業かもしれませんね~
ヘリコプターペアレンツとは、
自分の子どものまわりを、ヘリコプターが
ホバリングするかのように関わり続ける親のこと。
我が子を常に心配して、できる限り失敗させないように関わり、
過干渉、過保護、あらゆるお膳立てをすることで、子ども達が経験を通して、
失敗を通して学ぶ機会を奪ってしまう親のこと。
だから、その子どもは自分で考えて問題解決するトレーニングの機会が
失われ、親からの指示通りに生きることが一番重要なことというちょっとした
間違った考え方が刷り込まれていく
その結果として、指示されたことに忠実に行動することは得意であるが
その場の状況に臨機応変に対応したり、自分で考えて最適化するということは
そういうチャンスが奪われていたので、いざそのシーンに遭遇すると、
フリーズするか、不適切な対応をしてしまう
まあ、たかがコンビニの品出しにイラっとしたからってそこまで
考えなくていいじゃんと言えばそうなんですが、自分にとってはある意味
インパクトの強い体験だったので、自分なりに考えてみました。
あくまでも自分ありの仮説ですけどね
仮説は別としても、今回やはり強く思ったことは、繰り返しになりますが、
『ルーティンワークではその人の素や本質は見抜けない』
ということなので、言い方を変えれば
『人の素や本質を見抜けるのは、想定外や決められていないことが
起こったときの対応』
ということかもしれませんね。