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あらかじめ反応が想定できることしかしない? ~挑戦できない理由~

20200327

少々ブログ更新が滞ってしましました・・・(反省)
このご時世やはり、何かを発信していくことは大切だと思っています
そして、その何かに共感する人を集められる人達が成功していたり、
人生が輝いていたりするような気がします
近いうちに『発信力』というテーマについてもメッセージを書きたいなと思います

それにしても、コロナウィルスの影響がこのレベルになるとは
想像できていませんでした。あらゆるモノゴトの自粛要請の中での今、
そして、それがある程度収束してからの中期的スパンでも、オリンピック延期など
を含めあらゆる影響があらゆる場面において長引いていくことでしょう
 
自分自身や弊社CLPも仕事のマイナス影響をもろに受けている
わけではありませんが・・・トータル的にはどうなることやら

話は今日の本題に・・・

先日、ある幼稚園の園長先生と話していた時に、
『最近の若い人たちの傾向や特徴について』というテーマになりました。

まあ、端的に言ってしまえば・・・
『新しい発想やチャレンジへのエネルギーや言動が物足りない』
という園長の思い。
(もちろん全員がそうだという見解ではありませんが)

以前、このブログで書いたものに以下のような内容があり、
社会学者の土井隆義氏、教育心理学者の速水敏彦氏の著書から抜粋したメッセージです。
まさに自分自身としては、共感度が高い内容なので、あらためて以下に
掲載させていただきます。

★若者の変化を捉える★ 
~子どもたちや若者のコミュニケーションのあり方の劇的変化~

『最近の子どもたちは、親しい友達など”親密圏”の人間関係に異様なほど配慮し合い、
その傷つきやすい人間関係をマネジメントしていくことに何よりも優先性を認め、
莫大なエネルギーを注ぎ込んでいる一方で、親密圏の外部、つまり公共圏にいる
人間に対してはほとんど無関心
になっている』

『この親密圏の中の営みをこなすのに最も必要な能力が、コミュニケーション能力である。
仲間や友達の中での序列づけも勉強やスポーツが得意か否かによってではなく、
友達と一緒にいる場を盛り上げ、その関係をうまく転がしていけるような
コミュニケーション能力の高低によって決まっている。
その意味でコミュニケーション能力こそが、自己肯定感の基礎になっているともいえる

『最近の子どもたちは、自らの生理的な感覚や内発的な衝動を重視するため、自己肯定感
に持続的な安定性を見出すことが困難になっています。社会的な根拠によって支えられた
肯定感ではないので、あいまいな気分や雰囲気によって容易に揺れ動いてしまうのです。
したがって、彼らは、この不確かな自己肯定感を支えるために、身近な他者からの強力な
サポートを必要とするようになっています。
親密圏内の他者から自己承認を絶えず与えて
もらうことによってしか、自己肯定感の安定性を保つことができなくなっているのです。』

『自分らしさの確信を得ることができないのは、たとえ錯覚かもしれないにしても、身近な
他者からの自己承認によってのみです。今の若者は「社会化に対するリアリティ」を失い
「まなざしを内閉化」した結果、自己の肯定感がきわめて不安定
になっています。
また、自己の肯定感を親密圏の他者から承認によって担保しているため、それがなくなった
ときに、大きな不安感にさいなまれることになります。』

『自己肯定感が不安定な若者が多い一方で、根拠なく他者を蔑視することで有能感、
自己肯定感を得ている若者
もいます。彼らは、勝手に他者の能力を軽視することで
偽りのプライド、すなわち”仮想的有能感”を抱いて行動するのである。
仮想的有能感の高い人は、何よりも自分が弱い存在だと思われたくない。例えば、
学業成績が悪い、運動競技に負けたという現実があっても、率直に自分の能力や
努力の足りなさを認めるというよりは、先生の指導が悪かったとか、競技場の
コンディションが悪かったと自分以外の要因に帰し、自己責任を回避するものと
考えられる。これをいわゆる「他責思考」と言う。』

現代は、公共圏を通らなくてもどこへでも行けるようになっている。
現在のようなネット環境が整う以前、時間と空間を隔てた相手とコミュニケーション
をとるための手段は限られていました。
ガールフレンドの自宅へ電話をかけるときに父親がでたらどうしよう・・・といった
緊張感など、意中の相手とつながりあうためには、自分にとって不都合な人間との
コミュニケーションも途中で経由しなければなりませんでした。
しかし、今は広大なネット空間へ開かれたケータイの小さな窓を覗き込むことで、
面倒で不都合な人間とはいっさい触れ合うことなく、
自分にとって心地よい相手だけと、即座に人間関係を築くことができる
。』

お読みいただいた方、いかがでしょうか?
まさに、良い悪いは別として現代の子どもたちと若者たちの傾向が
とてもよくわかるメッセージだと自分は思いますね

上記を受けて、何が起こっているかと自分なりに整理してみると・・・

・公共圏に無関心でアンテナが立っていないから、視野や判断基準が広がらない
コミュニケーション力は、公共圏の異なる年齢層や背景が違う人達と
 交流することで高まっていく
のに、その環境を自ら敬遠しているので
 コミュニケーション力が上がらない=不確かな自己肯定感のまま生活している
自己の肯定感を親密圏の他者から承認によって担保しているので、
 組織&チーム内において否定されたり、批難される可能性がある言動は極力
 避けて、『最大公約数=自分のベスト』というスタンスがカラダにしみ込んでいる
・自分の仮想的有能感を維持することに必死な人達が、よってたかって
 インターネット&SNSという機能(リアルに顔がばれない世界)の中で
 誰かの何かを批難することやその意見に便乗することに時間を割いている
 
まあ、そんな感じかな~と思いますね。

上記のもろもろの要件の重複が原因となって

『挑戦しない、主体性がない、チャレンジできない
子どもや若い人達が多くなっている』

と言えるのではないでしょうか

そして、先日の話の中で自分自身が最後に整理付けしたメッセージは・・・

『あらかじめ、まわりの反応が想定できることしかしない』

という人が多いということ。それは上記の若者の傾向が重複したら
そこに当てはまる人は自然とそうなるだろうなと思ったからです

そういう人は、まわりの顔色や出方をいつも気にしている・・・
冒頭にお伝えした”発信”についても、相手にそれがどう捉えられるか不安だから
公になればなるほど、発信することを極端に避ける・・・
でも、そういう人達ばかりだとその時間や未来はぜんぜん活性化しないんですよね

先日このブログで書いた”薩摩の教え”にもあるように、一人の親として
そして、幼児教育の現場に関わる人間として、

『失敗や評価を恐れてその場を動けない人ではなく、
 失敗してもいいから、一歩踏み出して挑戦できる人達を育てていく!!』

そんなことが大切だなと、あらためて先日の園長先生との話を通じて
感じたので今日はそんな思いをメッセージにしてみました。

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