先回りの落とし穴 ~本物の喜怒哀楽を提供してあげよう~
前回は、「育ちの差」についての見解を整理しました。
そして、更に自分が感じていることを深堀していきます。
と宣言していましたので、そのお話し・・・
当然、人が育つプロセスの中で、最も大きな影響を受けるのは『人』
生まれてから大人になるまでには、良くも悪くもまわりにいる人たちの
影響の中で育ちますよね。
特に乳児期、幼児期、小学生、中学生、高校生くらいまでは、
自分の両親やその家族と過ごす時間が多くなるのが一般的かと思います。
大人たちは、自分の経験則の中で・・・
「この状況では、次はこうなるだろう・・・」
「このままでは、うまくいかない・・・」
「こうやったら、うまくいく・・・
「こうすれば、失敗しないですむ・・・」
なんてことを、ある程度予想したり、予測したりする力を身に着けています。
そして、自分の子どもや近くにいる子どもの様子や状況を見ながら、
予想される、予測される未来が自分にとってネガティブなものだと、
そうならないように、手を差し伸べるわけですよね。
それは、悪いことだとは思わないのですが、
なんでもかんでも失敗させないように手を差し伸べすぎるのは、
その子にとって長い目で見たら本当の手助けではないと思うのです。
私はそれを『先回りの落とし穴』と言っています。
その子にとってのゴールや終着点をまわりの大人たちがどこに置いているか
によって、手助けの仕方やバランスは異なってくると思うのですが、
基本的に、子どもたちのゴールは、
『社会に出て自分の力で生きていけること』=『自立』
ではないでしょうか
その子のまわりの人たちが、あまりにも先回りしていろいろとお膳立て
しすぎた環境を作ってしまうと、その子はどうなるのか??
自分の本当の力の認識を間違えてしまいますよね~
そして、社会に出て、最初に感じること・・・
「こんなはずではないと思った・・・」
「こんなに自分ができないとは思わなかった・・・」
それもそのはず、だって、あなたは今までその他大勢の近くにいる大人たちに
たくさんのお膳立てをされた環境の中で、失敗が少なかっただけですから。
まさか、すべてのあらゆることを自分だけの力で乗り越えたと思っていたんですか??
ということになる
コーチングの概念に、「ベイビーステップ」というものがあるのですが、
赤ちゃんが生まれてから、寝返りをしてハイハイをしてつかまり立ちして、歩けるように
なって、筋肉がついて走れるようになるという段階的な成長があるように、
物事や目標も一つずつ然るべきステップを着実に進まないとゴールまでたどり着けない
ですよ~ということです。
でも、先回りされ、お膳立てされた環境では、然るべきステップは他人に手によって
用意され、本人が知らぬ間にワープしながら、進んでいることになるわけです。
落とし穴に気づいていないまわりの大人たちの関わり方によって
次に進むための然るべきステップが何かを・・・
①自分の頭で考えて学ぶ機会
②考えて悩んで見つけ出す機会
③苦労して突破口を見つけ出して、次に進める喜びを体感する機会
これらの、成長&自立していくために大切な機会を習得する時間を失うわけです。
この先回りとはワープのことですが、このワープこそ落とし穴・・・
ワープを多くしてきた人が、いざ社会に出て、学生時代よりもお膳立てが急に減少した
環境に身を置き、何かの壁にぶち当たったとします。
そんな人は、そこから前進していくために必要な、上記の①②③の機会が与えられず、
練習するチャンスを奪われていたために、
どうしていいのかわからずフリーズします
でも、先回りの落とし穴を理解してちゃんと、練習するチャンスを与えてきた大人がいる
環境で育ってきた人間は、
もがいて考えてなんとか突破しようとします
何かの壁にぶち当たったときに・・・
A:フリーズする人間なのか
B:もがいて考えてなんとか突破しようとする人間なのか
AさんとBさんどちらが最終的に社会で活躍できる
付加価値の高い魅力的な人間になっていけるのか・・・答えは明確ですよね。
いくら、お勉強ができる人だとしても、社会に出て、日々フリーズしていたら
役に立たないですからね
今までは、フリーズしていると誰かが出てきて、次の階段を用意してくれたのかも
しれませんが・・・ そこまでいちいち面倒見てくれないのも社会の厳しさ
例えば、テレビ番組で「はじめてのおつかいシリーズ」があります
あの番組は最近特に、自分の子どもとかぶってしまって涙なしには見られないのですが
あれこそわかりやすい例ではないないでしょうか
最初から最後まで自分でやりきるには、途中でたくさんの階段や壁に遭遇するわけです。
店まで道を間違わないか、買い物するものを忘れず伝えられるか、おつりをもらえるか、
帰りみちも、重い荷物をどうやって運ぶか等々
そのプロセスにおいては、命の危険が予測される場合を除いては、誰も先回りしたり
お膳立てしないわけです。
その時間の中には、その子の本物の喜怒哀楽が凝縮しているわけです。
不安な気持ち、うまくいかない憤り、失敗してしまった悲しみ、最後お母さんと抱き合って
涙しながら喜ぶ気持ち・・・
以前のブログ記事で、『人間の器は、喜怒哀楽の振れ幅なり』
というものを書いてけっこう反響をいただいたのですが、
まさに、子どもの喜怒哀楽があの時間の中に凝縮されているテレビプログラム
だと思います。そしてそれを見守る親の喜怒哀楽も凝縮されています。
そんな時間や環境が人の器を大きくするのだと思います。
ブログ記事はこちらをクリック
⇒ 『人間の器は・・・”喜怒哀楽の振れ幅なり”!!』
残念ながら、先回りの落とし穴にはまっている子どもは、上記の子どもたちよりも
喜怒哀楽の幅が少ない日々を送ることになります。
お膳立てが多いから、苦しみ、悩み、悲しみ、喜びもすべて中途半端な日々
本物の喜怒哀楽ではなく、偽物の喜怒哀楽と付き合っていく日々
ある意味そんな子どもはかわいそうだと思ってしまいますね
だから、社会に出ても、私の経験則では、
そういう育ちの人は感情表現が上手ではない方が多いように感じています
だって、本当の喜怒哀楽体験を積んできていないですからね~
どうやって自分を表現したらいいかわからないので余計フリーズしていく・・・
故に、まわりの人たちはその人が思っているメッセージを受け取りずらいという
悪循環が生じていきます
そんな育ちの差が、社会のいろいろな場所で今まさに具現化されている
ということなんだろうな~と自分では感じていますし自分なりに整理しています。
『先回りの落とし穴』
過度な先回り、お膳立ての行く末=フリーズ型人間の育成??
そんな落とし穴にはまらないように自分も常に意識して過ごしたいと思います
どうでしょう?今回のメッセージ・・・
共感してくれる方もいるのではないでしょうか。
もう一つ、「育ちの差シリーズ」で感じていることがあるので、近日中に
お伝えできればと思っています。
それでは、あと半日を乗り切って素敵な週末をお過ごしください。
我が家は明日、両家のご両親とともにお宮参りに行ってきます