便利なコミュニケーションツールの弊害?!
皆さんこんばんは。雑賀です。
約1週間ぶりのブログ更新となってしまいました・・・
昨日は日帰り大阪出張で、コンサルティング先の保育園の
今後の各種戦略の整理整頓と、経営の根幹となる人事戦略の再構築
について、時間をかけてじっくり詰めてきました。
そして、今日はたまに行くオフィスデー・・・
以前のブログにも書きましたが、出張移動中(新幹線or飛行機)には
①仕事をする(各種資料を読み込む、パソコンで資料作成など)
②寝る(目をつぶる)
③食べる&飲む
④会話をする(同行者がいる場合や隣席の人と仲良くなった場合)
⑤本や雑誌などを読む(インプットタイム)
⑥その他
①~⑥のどれかをしていることになります。
昨日のインプット内容は非常に共感度が高い内容だったのでご紹介!!
★若者の変化を捉える★
~子どもたちや若者のコミュニケーションのあり方の劇的変化~
『最近の子どもたちは、親しい友達など”親密圏”の人間関係に異様なほど配慮し合い、
その傷つきやすい人間関係をマネジメントしていくことに何よりも優先性を認め、
莫大なエネルギーを注ぎ込んでいる一方で、親密圏の外部、つまり公共圏にいる
人間に対してはほとんど無関心になっている』
『この親密圏の中の営みをこなすのに最も必要な能力が、コミュニケーション能力である。
仲間や友達の中での序列づけも勉強やスポーツが得意か否かによってではなく、
友達と一緒にいる場を盛り上げ、その関係をうまく転がしていけるようなコミュニケーション
能力の高低によって決まっている。その意味でコミュニケーション能力こそが、自己肯定感
の基礎になっているともいえる』
『最近の子どもたちは、自らの生理的な感覚や内発的な衝動を重視するため、自己肯定感
に持続的な安定性を見出すことが困難になっています。社会的な根拠によって支えられた
肯定感ではないので、あいまいな気分や雰囲気によって容易に揺れ動いてしまうのです。
したがって、彼らは、この不確かな自己肯定感を支えるために、身近な他者からの強力な
サポートを必要とするようになっています。親密圏内の他者から自己承認を絶えず与えて
もらうことによってしか、自己肯定感の安定性を保つことができなくなっているのです。』
『自分らしさの確信を得ることができないのは、たとえ錯覚かもしれないにしても、身近な
他者からの自己承認によってのみです。今の若者は「社会化に対するリアリティ」を失い
「まなざしを内閉化」した結果、自己の肯定感がきわめて不安定になっています。
また、自己の肯定感を親密圏の他者から承認によって担保しているため、それがなくなった
ときに、大きな不安感にさいなまれることになります。』
『自己肯定感が不安定な若者が多い一方で、根拠なく他者を蔑視することで有能感、
自己肯定感を得ている若者もいます。彼らは、勝手に他者の能力を軽視することで
偽りのプライド、すなわち”仮想的有能感”を抱いて行動するのである。
仮想的有能感の高い人は、何よりも自分が弱い存在だと思われたくない。例えば、
学業成績が悪い、運動競技に負けたという現実があっても、率直に自分の能力や
努力の足りなさを認めるというよりは、先生の指導が悪かったとか、競技場の
コンディションが悪かったと自分以外の要因に帰し、自己責任を回避するものと
考えられる。これをいわゆる「他責思考」と言う。』
『現代は、公共圏を通らなくてもどこへでも行けるようになっている。現在のようなネット環境
が整う以前、時間と空間を隔てた相手とコミュニケーションをとるための手段は限られて
いました。ガールフレンドの自宅へ電話をかけるときに父親がでたらどうしよう・・・といった
緊張感など、意中の相手とつながりあうためには、自分にとって不都合な人間との
コミュニケーションも途中で経由しなければなりませんでした。しかし、今は広大なネット
空間へ開かれたケータイの小さな窓を覗き込むことで、面倒で不都合な人間とはいっさい
触れ合うことなく、自分にとって心地よい相手だけと、即座に人間関係を築くことができる。』
とまあ、長くだらだらと書いてしまいましたが・・・
上記の内容は、社会学者の土井隆義氏、教育心理学者の速水敏彦氏の著書から
抜粋したメッセージです。
いや~本当にその通りだな!!と共感してしまいます。
親密圏とは・・・mixiやfacebookなどのSNSこそ、その代名詞のようなものでしょうね。
その中で、励まし合ったり、褒め合ったりすることによって、自己肯定感を維持している
人が多いということでしょうか??(もちろんそれだけではないとは思いますが・・・)
ちなみに、私はSNS的なものには登録しておりません。(ものすごく誘われますが)
確かに自己肯定感が不安定な若い人が多いことは実感しています。
コンサルティング現場やプライベートでも自分より10歳以上若い人と話す機会は
多いのですが、とにかく自分に自信がない人が多いですね。
また、それとは逆に、根拠のない”仮想的有能感”を抱いた勘違いちゃん?も多いですね。
自分の経験上、そういう人間は、完全に誰が見ても本人が非があるときでさえ
”素直に謝ることができない人”が多いです。そして、とにかく自分のせいではないこと
を必死に説明しようと頑張るタイプですね。残念ながら一番成長しない人の特徴です。
その態度、行為こそが一番嫌われるということを、全く理解していないある意味
かわいそうな子ですね。それを直さない限り一生嫌われてしまいますからね・・・
すぐに非を認め、謝罪をして、次に同じミスを起こさないように
行動改善することが、人に好かれるポイントだと知らないんですよね・・・
以前の会社でも、そういう部下は残念ながら成長しない部下の典型でした。
携帯やインターネットなどのコミュニケーションツールが進化して便利になったことで
公共圏とはほとんど関わりを持たなくても、コミュニケーションがとれるようになりました。
自分にとって関わりやすい、好都合で心地よい人間だけと関係構築をすれば、それで
生きていける世の中になっているということでしょう。
しかし、社会に出れば、理不尽な人、面倒な人、やっかいな人・・・
いわゆる、公共圏は否応なしにやってくるものです。そこに対する準備や耐性ができて
いない、もしくはその感覚が備わっていない多くの若者が、今までうまく逃げてこられた
ものに直面した時・・・そのギャップやストレスを乗り越えられないでフェードアウト・・・
というのが今、多くの組織や会社で起こっている現象なのかもしれませんね。
なんとも皮肉なことに・・・
便利になったコミュニケーションツールが、人間が生きていく上で
必要なコミュニケーション能力を身につける足かせになっている!!
ということでしょう。 う~ん悩ましいですね。
若いうちに、「痛みをともなう社会体験」をしていない人間が増えている。
これ大きな問題だと思っています。だって、社会にでたら当然様々な痛みがありますから。
そして、生きる力をつける上で必要である「痛みをともなう社会体験」をまわりの大人や
親が排除してしまうことによって、子どもが生きる力をつける機会を奪っていることに
気づかないといけないですよね。いわゆる過保護は罪です。
ただ、そんなことを言っても、世の中で起こっているトレンドはすぐに変わらないので
そのような若者をどのようにマネジメントするかを考えるのが経営者や教育者の
役割になっているということでしょう。経営者&教育者の方々、私もそうですが
互いに思慮深く頑張りましょう!!